スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

(人物) マーシャル・D・ティーチ【Ⅰ】 

kurohige06




 ひげ(マーシャル・D・ティーチ)とは漫画『ONE PIECE』およびそれを原作にした同名のテレビアニメに登場する架空の海賊である。


以下黒ひげ(マーシャル・D・ティーチ)の台詞と考察。







其の一
ルフィ「このチェリーパイは死ぬほどマズイな!!!
黒ひげ「このチェリーパイは死ぬほどウメェな!!!」

ルフィ「このドリンクは死ぬほどウメェな!!!」
黒ひげ「このドリンクは死ぬほどマズイな!!!」

(単行本24巻より)

黒ひげ初登場時の台詞。とある酒場で偶然遭遇した麦わら海賊団(ルフィ、ゾロ、ナミ)と黒ひげ。そこで出された料理に対するルフィと黒ひげの感想は悉く反するものである。しかし、言葉の符丁はある種の共通性を示している。このやりとりは主人公モンキー・D・ルフィとの類似性を示しつつも、その感性は相反するものであることを示している。この二つの台詞からは明言できないが、黒ひげと言うキャラクターがワンピースと言う物語の裏の主人公であることを暗に示唆している台詞であると思われる。




其の二
黒ひげ「おめェ…海賊か…!?」
ルフィ「ああ そうだ!!」
黒ひげ「懸賞金は」
ルフィ「3000万!!!」
黒ひげ「3千万!?お前が…??」「そんなワケあるかァ ウソつけェ!!!」
ルフィ「ウソなんかつくかァ 本当だ!!!」

(単行本24巻より)

其の一の会話の後に続いた会話。この時点での懸賞金3000万ベリーは読者にとってはそこそこの高額である。この会話からは黒ひげがルフィを過小評価しているとのミスリードを読者に対して誘うが…(以下後述)
この後、黒ひげはルフィの前を去って行く。




其の三
「“空島”はあるぜ…」「何をくやしがるんだねーちゃん…」「今の戦いはそいつらの勝ちだぜ」

(単行本24巻より)

其の二で黒ひげがルフィの前から去った後、ルフィ、ゾロ、ナミの3人が空に浮かぶ島、通称“空島”についての情報を酒場のマスターに尋ねた所、同席していた(敢えて麦わら海賊団に会いに来た)ベラミー海賊団に愚弄される。「“空島”とは夢物語であり、今は海賊が夢を見る時代ではない」と。怒りの思いを内に抑えつつも3人は酒場を後にするのだが、その直後に発せられたのが酒場の前で寛いでいた黒ひげのこの台詞。この台詞から黒ひげもルフィと同じように夢を持つ海賊であると言える。また黒ひげのこの台詞を聞きルフィはシャンクスとエースという彼(ルフィ)にとって最も偉大で尊敬すべき二人の人物を連想する。このことから、黒ひげもまた彼ら(シャンクスとエース)と同じような器の持ち主であることが伺える。




其の四
「海賊が夢を見る時代が終わるって……!!?」

「人の夢は!!!」「終わらねぇ!!!!」

「そうだろ!!?」

「人を凌ぐってのも楽じゃねェ!!!」
「笑われていこうじゃねェか 高みを目指せば」「出す拳の見つからねェケンカもあるもんだ!!!!」

(単行本24巻より)

其の三の台詞の後に続く台詞。個人的にはワンピース史上、否、漫画史上最も偉大な台詞であると考えている。【人の夢は終わらない】とはワンピースと言う漫画の抱える一つのスローガンであり、作者である尾田栄一郎が読者に訴えたい最も重要な思想であると個人的には思っている(多分に拡大解釈であるかもしれないが)。このメッセージを訴えるために媒介とされている黒ひげというキャラクターはワンピースという物語においても、尾田栄一郎にとっても最も重要なキャラクターであると思われる。少年漫画の特性上、主人公は万人から親しめるイコン的キャラクターである必要がある。そう言った意味でモンキー・D・ルフィというキャラクターは打ってつけである。しかし、ワンピースというあまりにも完璧な少年漫画を描く尾田栄一郎という男にとっては、自分と同ジャンルの人間、つまり漫画が大好きな成人男性をも魅了したいと言う思いがあると考えられる。その為に創られたキャラクターが黒ひげことマーシャル・D・ティーチであると私は考える。




つづく(たぶん…)










スポンサーサイト

(人物) ブライアン・ジョーンズ 

Brian Jones

ブライアン・ジョーンズ(Brian Jones、Lewis Brian Hopkin Jones)
1942年2月28日~1969年7月3日(享年27歳)

 ライアン・ジョーンズはローリング・ストーンズの創始者であり初期ローリング・ストーンズのリーダー的存在であった男である。ラストデイズの項で述べたカート・コバーン然り、ロック系のミュージシャンには20代(特に27歳)で死に、伝説化されてしまう人が多いが、ブライアン・ジョーンズもまた、1969年に自宅のプールで変死体で見つかり、27歳でこの世を去った男である。
 そういった若くして死んだミュージシャンをテーマにした映画が過去にしばしば作られているが、代表的なものとして、70年代パンクの象徴とされるセックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャス(享年21歳)と彼の恋人の最後を描いた『シド・アンド・ナンシー』(1986年制作)、60年代後半反逆のカリスマとして名声を集めたドアーズのヴォーカル、ジム・モリソン(享年27歳)のパブリックな生涯を描いた『ドアーズ』(1991年制作)、同じく60年代後半ヒッピーの女王として君臨したジャニス・ジョップリン(享年27歳)をモデルとした女性ロックシンガーのプライベートを描いた『ローズ』(1979年制作)、90年代グランジの寵児として多くの若者の支持を得たNIRVANAのギター&ヴォーカル、カート・コバーン(享年27歳)の死にインスパイアされた『ラストデイズ』(2005年制作)が挙げられる。

 そして本頁でとりあげたブライアン・ジョーンズの伝記映画が今年の夏、『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』(原題/Stoned 監督/スティーブン・ウーリー)というタイトルで公開されるという。これまでブライアン・ジョーンズの死については自殺、他殺、事故と様々な憶測が囁かれてきたが未だその真相は明かされていない。一般にはアルコールとドラッグの過剰摂取によるものとされているが、実際検死の結果、死の直前彼は致死量に至るアルコールもドラッグも摂取していなかったという。さらに近年、ブライアン・ジョーンズの自宅の改築を担当した建築業者フランク・サラグッドが、1993年に亡くなる直前、自分がブライアン・ジョーンズを殺したと告白したことで、他殺説が有力化している。スティーブン・ウーリーの映画では、この他殺を前提とし製作されたリアルな伝記映画に仕上がっているようである。ミック・ジャガーやキース・リチャーズ等の現存するオリジナル・ストーンズ・メンバーの検閲により、過去ブライアンに関する話題はメディアになかなか浮上してこなかっただけに今回の映画化は、映画好き、かつロックオタクである私としては嬉しい限りである。

 個人的なブライアン・ジョーンズに対するイメージを述べたいと思う。ブライアン・ジョーンズはその天性の才能でローリング・ストーンズと言う巨大なバンドを作り上げた男であるが、その才能から来るプライド故にバンド内で孤立し、行き場を失いドラッグに溺れ廃人と化した男である。弟分であったミック・ジャガーやキース・リチャーズにその座を奪われバンドを追い出された男である。あまりにも、完璧すぎたため孤立してしまった男である。
 これが私のブライアン・ジョーンズに抱くイメージである。ひたすら哀れとしか言いようのない男であると思う。

 晩年の彼は弟分であったミック・ジャガーやキース・リチャーズに邪魔者扱いされ、ライヴでもタンバリンやマラカスを演奏させられていたという。実際、彼の最後のステージとなる「ロックンロール・サーカス」というストーンズのライヴにおいて、彼はとても哀しそうな虚ろな目でただただマラカスを鳴らしていた。
 ある意味天才というのは孤立してしまうものであると思う。彼はどんな楽器でも短時間で弾きこなしてしまったといわれている。楽器演奏能力においてはストーンズ内でもずば抜けていたという。そんな彼がバンド内でリーダーの座をミック・ジャガーに奪われてしまった決定的な理由がソングライターとしての能力に欠けていたためだという。彼が在籍していた頃の60年代のストーンズは、それ以前の黒人ブルーズを追求しカヴァーおよびアレンジしていたバンドである。しかし、同時代のビートルズやキンクス、ザ・フーがそれぞれ独自の音楽性を定めオリジナルのロックを量産するに従いストーンズもオリジナルのロックを追求し始める。それでもブライアンはあくまで白人による黒人ブルーズの追求にこだわったという。そこで、ミック・ジャガーやキース・リチャーズと摩擦が生じ彼は孤立してしまう。私自身がそうであるのだが、多分、多くのストーンズファンはローリング・ストーンズというバンドには純粋なブルーズは求めていないと思う。正確にいえばバリバリのロックナンバーの中、たまにバラードやブルーズがあれば良いといった感じだろうか。そういった意味で一般的なストーンズファンはそこまでブライアン・ジョーンズに幻想は抱いていないと思う。極論であるかもしれないが、ストーンズファンとブライアンファンとは別物であるともいえる。しかし、ブライアン・ジョーンズという天才が居たからこそ今のストーンズがあるのもまた事実である。そういった意味でローリング・ストーンズさらにはロックンロールというものを語る上でブライアン・ジョーンズは避けては通れない存在であると思う。

 私自身、ブライアン・ジョーンズに対しそこまで深い興味はなかったのだが、今回伝記映画が制作されたことをきっかけに、よりブライアン・ジョーンズに注目して見ようと思う。



Original Stones

 最後にオリジナル・ストーンズの写真を。左から、ブライアン・ジョーンズ(gt)、ビル・ワイマン(ba)、チャーリー・ワッツ(dr)、キース・リチャーズ(gt)、ミック・ジャガー(vo)。

(人物) ジェームス・ディーン 

James Dean

ジェームズ・ディーン(James Dean、James Byron Dean、Jimmy Dean)
1931年2月8日~1955年9月30日(享年24歳)

 段映画をあまり見ない人でも一度は名前を聞いたことがあるであろう俳優、ジェームス・ディーン。彼の場合、俳優としてよりジェームス・ディーンという人間そのものとして語られることが多く、生涯に残されたたった3本の映画(実際はちょい役の映画とかがあと数本ある)はその出来に関係なく伝説的な扱いを受けている。その捻くれた役柄が実際の彼そのものであったことと、早すぎた死が大きな理由である。今年(2005年)は彼の没後50年ということもあり、デビュー作である『エデンの東』が先月(11月)リバイバル上映されていた。私は以前からジェームス・ディーンという存在に興味を持っていたので、ここぞとばかりに『エデンの東』を映画館で観賞し、残りの2作品もDVDでた観賞した。また、2001年にアメリカのTV映画として公開されたジェームス・フランコ主演のジェームス・ディーンの伝記映画『DEAN』もDVDで観賞した。以上の4作品の感想を以下に述べる。




エデンの東
East Of Eden
1954年【米】
監督/エリア・カザン 出演/ジェームズ・ディーン、レイモンド・マッセイ、バール・アイヴス、ジュリー・ハリス、ジョー・ヴァン・フリート

 ジェームス・ディーンのデビュー作。上にも書いたとおり、私は以前からジェームス・ディーンには強い興味を持っていたのだが、それ以上に、エリア・カザンの代表作であること等から、この映画そのものに興味を持っていた。しかし、DVDが販売もレンタルもされていなかったためなかなか見ることができなかった。そんな訳で先月のリバイバル上映は、正に「目から鱗」状態で嬉しい限りであった。
 映画の内容は、何よりも父親からの愛を欲するのだがなかなか手に入れることのできない少年の苦悩を描いたもので、ありがちと言えばありがちなのだが、旧約聖書の「初めて人を殺した人」の話(アダムの2人の息子アベルとカインの話)が裏設定であったりして、なかなか深い内容である。そして、その苦悩する少年キャルをジェームス・ディーンが演じているわけである。実際に幼いころに母親と死別し父親に見捨てられたジェームス・ディーンは生涯父親に愛されることを望んでいたという。私自身が本作を見る以前からこのような知識を持っていたため、多分に先入観もあると思うのだが、そんな生い立ちのジェームス・ディーンが演じたからこそ、この『エデンの東』という作品により深い悲しみとリアリティーを与えることができたのだと思う。
 本作が私の初めて見たジェームス・ディーンの映画であったわけだが、スクリーンの中の彼はそれまで私が持っていた彼のイメージそのものであり、大変満足のいく作品であった。個人的には彼の出演作品の中で一番好きな作品である。




理由なき反抗
Rebel Without Cause
1955年【米】
監督/ニコラス・レイ 出演/ジェームズ・ディーン、サル・ミネオ、 ナタリー・ウッド

 『エデンの東』と同年に公開された映画。十代の少年たちの苦悩と葛藤を描いた作品で、前作『エデンの東』と非常に近いテーマの作品である。当時24歳のジェームス・ディーンは17歳の少年を演じている。いつも母親の尻に敷かれる父親に嫌気が差し家を出たがる少年の役で、前作『エデンの東』と反対のような同じような役である。
 正直、映画としてはあまり印象に残らないもので、面白くなかった。まあ、本作で描かれている少年たちと同年代の時に見たら、また違った印象だったかもしれないが、ジェームス・ディーンが出ていなかったら見ていなかったと思う。そのジェームス・ディーンもなんか今一で本作の彼の赤いブルゾンに青いデニムというファッションは当時の若者たちの間で大流行したらしく、彼のビジュアル的なイメージでは一番有名だと思うが、個人的には微妙。




ジャイアンツ
Giant
1956年【米】
監督/ジョージ・スティーヴンス 出演/ ロック・ハドソン、ジェームズ・ディーン、エリザベス・テイラー、デニス・ホッパー、サル・ミネオ、キャロル・ベイカー、マーセデス・マッケンブリッジ

 ジェームス・ディーンの遺作。あるテキサスの家族の物語でタイトル通り壮大な物語。戦争や差別についての問題も含まれていてやや社会派な内容である。3時間以上ある映画なのだが、作品中で時間が30年ほど経過するので非常にテンポ良く見ることができる。
 ジェームス・ディーンはアメリカンドリームを実現させる石油王を演じている。前2作とは少し方向の違う役であると思うが、どこか捻くれた感じはジェームス・ディーンならではな観がある。物語前半では金も地位も名誉も何もない、いかにもテキサスって感じのビジュアルの牧童役で、石油を掘り当ててからの物語後半ではスーツにサングラスのブルジョワを演じている。物語の中心となる家族の敵役的なポジションなのだが、非常に格好良く描かれている。特に前半の石油を掘り当てるまでの彼はキャラクター的にもビジュアル的にも最高で「格好良い」の極みといった感じである。物語後半では50代の中年の役を演じているのだが、彼がただの偶像(アイドル)ではなく、いかに素晴らしい俳優であったかが分かる。
 皮肉にも本作の撮影中に彼はこの世を去り「永遠の青春スター」のラベルを貼られることになるが、本作での演技で彼は俳優としての実力を見せ付けてくれる。映画としても非常に見ごたえのある良い作品であると思う。
 個人的には彼の演じた役としては本作前半の牧童が一番好きな役である。 (トップの写真がそれ)




DEAN(ディーン)
Dean
2001年【米】
監督/マーク・ライデル 脚本/イスラエル・ホロヴィッツ 出演/ジェームズ・フランコ

 2001年にTV映画として制作された作品。冒頭でも述べたとおり、ジェームス・ディーンの伝記映画である。
 本作の何よりの見所は、主演のジェームス・フランコであろう。本作が“伝説の俳優の伝記映画”として成立しているのは、ひとえに彼の演技のおかげだろう。私は、『エデンの東』、『理由なき反抗』、『ジャイアンツ』を見終えてから、そう時間を置かずに、本作を見たのだが、ジェームス・フランコがジェームス・ディーンにそっくりなのである。さりげない仕草、台詞の言い回し、微妙な表情と、細部にいたるまで徹底した演技を行っていて、完璧にジェームス・ディーンになりきっているのである。彼のこの演技のため、本作で語られている内容が、すべて真実であるかのように錯覚してしまうほどである(もちろん映画的脚色も同然されているだろうが)。そういった意味で、本作は伝記映画として、非常に見ごたえのあるものに仕上がっているので、ジェームス・ディーンのファンなら一度は見ておいて損のない作品であると思う。また、俳優ジェームス・ディーンしか知らない人が人間ジェームス・ディーンを90分で知ることができるという意味で、非常にお手ごろな作品であるとも思う。
 映画そのものとしても、なかなか見ごたえのある寡作である。




(2006年3月13日、加筆)

(人物) レナード・コーエン 

Leonard Cohen

レナード・コーエン(Leonard Cohen)
1934年9月~

 ナード・コーエンは1934年生まれで、今年(2005年現在)で71歳になるカナダ出身のフォーク系シンガー・ソングライターである。

 私は音楽とは、喜、怒、哀、楽の4つの感情の組み合わせで作られるものであると考えているのだが、彼の音楽は、その大部分が「哀」で構成されている。
 コーエンの書く詩は深遠でとても宗教的である。
 コーエンの歌声はまるで死に行く人の囁きのようである。
 コーエンの持つ世界観は閉鎖的で、そこには彼と他人がいるだけである。
 一般にメディアやネットで述べられている彼のイメージをもとめてみると、このように「哀」、しかもどちらかと言うと負のイメージの「哀」になってしまい、どこか暗そうな音楽だと思われてしまうかもしれない(まあ暗いけど)。しかし実際に彼の作品を何曲か聴いてみれば分かると思うが、彼の音楽は、聖歌、あるいは人間賛歌のような美しさや力強さで満ちている。彼はそんな、哀しく、美しく、力強い曲を、それこそ本当に死人が囁いているかのようにボソボソとつぶやくように歌うのである。私は彼の音楽を初めて聴いたとき、本当に相手の魂に訴えかけるにはこういう風にすれば良いのか思い、いたく感心したものである。
 ここ日本ではボブ・ディランや、ニール・ヤングのような同年代のシンガー・ソングライターに比べ、大分知名度は低いけど、もっと認知されてしかるべきアーティストであると思う。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。